愛と不如意

どこまでもモノローグ

万年筆で愛を描け!

パートナー(クマ)とペアの万年筆を買った。

ウォーターマンのメトロポリタン(私用)とエキスパート(クマ用)の二本。

何の万年筆かというと、「パートナーシップ合意契約」締結の記念品として、である。

 

31歳。

『ゼクシィ』とか買って読むにはちょっと遅いくらい(なの?どうなんだろう?)。

出会って17年。付き合って11年。

まあよくも続いてきたな、生きてきたな、と思う。

 

14歳のクマは、14歳で世界を見限った私を傍で見ていた。

世界が破滅しないのなら、私が破滅するしかない、と本気で思っていた(今もたまに思う。ヤバ!)。

街に火もつけず、人も殺めず、只ひたすらに自分に加害できたのは、女というジェンダーのせいかもしれない。おかげかもしれない。

 

20歳で何故かクマと付き合い始めた頃、ごくフツーのカップルが、若さにかまけて、ありったけの体力を愛という名の暴力でぶつけるように、それなりに、泣いたり喚いたりもした。

何度も「もう死ぬ!」と言った(命で脅すの、サイテー!)。

 

クマも大概だが、私もよくもまあ生きてるな!というくらいのヤバい子どもだったし、今でも相変わらずコースアウトした大人である。

あのとき「脅し」てまで欲しかったものは何か。それが愛だとするのなら、脅されて与えられるようなものじゃ無い、と今なら分かる。

 

某超有名バンドは「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて気がつけばそこにあるもの」と歌うけど、私にとって愛とは血だらけ。命削ってやっと得られるもの、と思っていた。

だって、じゃないと「生きてる実感」が無かったし。

 

そんなこんなで、今日。

法律婚、クソくらえ!(の、理由はまた今度)」精神が記念品に反映してしまい、『ゼクシィ』では常識とされているであろう指輪とか時計とか、そういうラグジュアリーなものではなく、文房具専門店で万年筆を買った。

 

まさかの名入れサービスまで。

クマは心と身体の性が不一致状態なので、「ほんとうの名前」の無い、名無しの権兵衛。

20歳のときに、頭のネジが少し緩んでいた私が付けた「Sくん」のイニシャルSと、私のイニシャルAを組み合わせて、キャップに印字してもらうことにした。

 

あらゆるものに不如意を抱える私たちが、どう生きていくのか。

「パートナーシップ合意契約」なんて面倒くさい書面を作る意義は何か。

家族って何だ。愛って何だ。

 

そんなことを(たまにポエミーになりつつ)綴ります。

あの頃の私みたいなどこかのあの子が、「この大人、ヤバ〜」って失笑してくれるように。

 

愛を描くグッズを手にした記念すべき一日に。