愛と不如意

どこまでもモノローグ

逃げ遅れた子ども

月に一度のカウンセリングの日。

今日も金言を得る。

 

「逃げ遅れた子どもに責任を負わせてはいけない。」

 

あのときの私は「逃げ遅れた」子どもで、私が負うべき責任などは無く、保護とケアを受けるべきだったのだ。

 

NOを言えなかったこと、言わなかったことに責任はない。

「言えなかった(言わなかった)」ことが、「合意」の証にはならない。

 

搾取をする者、権力の側にある者は、いつもそれをすり替える。

まるでその行為を私自身が「選んだ」かのように、物語を作り替える。

 

それも含めて加害なのだ。

あらゆる暴力の根深い問題は、加害者が自己を被害者と定義し、被害者が自己を加害者(あるいは共犯者)と定義するという捻転が起きること。

 

大人になった私は、その捻れを反転させて、正しい位置に戻すことができる。

「私は被害者である」と認めること、私以外の他者に私を定義させないこと、そこからようやく生き直しが始まるのだと思う。