愛と不如意

どこまでもモノローグ

230417

えっ、今日って4月17日だったの!と打ち込んで気がつく。高校時代の元彼の誕生日。生きていたら34歳。

いわゆるデートDV共依存沼で散々だったけど、まさかあちらが先にこの世にサヨナラするとは思わなかった。死にたがりが簡単に死ねるとも限らない。私は、あのとき放り出そうとした未来を生きている。変なの。

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昨夜からフィットボクシング(switch)を始める。リズムに乗れてないし不恰好だけど、打ち込むときは、脳内乗っ取り症候群から解放される。

朝ごはんは、久しぶりに雑穀入りのご飯を炊いて、納豆を食べた。お米を食べたほうが俄然元気。

仕事で外回り。ひと仕事を終え、無印良品やスーパーを見て回る。スーパーでの収穫多し。クマ氏はどデカいエビフライがサンドされたコッペパンを買い、ご満悦。私は抹茶デニッシュパンを買った。私って、抹茶練り込み生地が好きなんだな。ミスドも然り。

夜ご飯は、豆腐、米粉、卵、もやし、ベーコンでお好み焼きを作る予定。お餅も切って入れたいところ。そういえば摂食障害の渦中、「食べること」以外のことを考えたい、それができたら私は何だってできるのに!と思っていた。いや、まあ、それはその通りなんだけど。めっちゃ依存症らしい思考回路。今は食が障害ではないけれど、結構「食べること」を考えている。食べることも、食べ物も、食にまつわる色んなことが大好きだったんだな、私。出会い直せてよかった。

 

 

230416

日記をつけたいと思いながら、ネット上の文字の渦にのまれて時間が経ってしまった。

ただ生きていること、ここに在ること、何てことない1日を過ごすこと、その尊さを思う。

私の尊い日々が、抗いようのない暴力で奪われたこともあったけれど、だからこそ「今日1日」を私の手元に取り戻したい。

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昼前起床。昨夜、是枝監督の『三度目の殺人』をみて、連綿と続く人間の暴力性を考える。で、起きたらバキバキに首が凝っていた。

誤発注で頼みすぎたサッポロ一番塩ラーメンを食べる。クマ氏はセロリの味がするって言うけど、原材料を確かめてはいない。どうなんだろう。

返事が来ない内容証明郵便のことや、クライアントのアレコレを考え、またもやボンヤリ。動悸。「心地よくない」アレやコレやに脳内を乗っ取られる現象、マジで止めたい。Huluで『ファビュラスな女たち』をみる。程よい刺激と冴えたジェンダー視点に感服。今の推しはベス・アン。チャーミングさと人情味、勇敢さが気持ち良い。

頭痛薬を飲んで、おやつにクマ氏とミスドを食べる。オールドファッション抹茶味は、いったいどこに行ってしまったのか…15年前バチバチにハマって、この時期にまとめ買いをしていた。緑色の生地が恋しい。

布団で試験勉強をしていたら、急に日記を書こう!と思いついた(今)。

そう、オシャレに書くでもよいことを書くでもなく、ただあったことを羅列する。何でか分からないけれど、今の私には、それが回復に繋がる気がしている。

 

応答せよ

私に性加害をした相手は、地方で学習塾を経営している。

かつては教員だった彼の「セカンドライフ」があまりに狂気じみていて、声を失う。

三日で噂が広まるあの地域で、悠々とセカンドライフに移行できる理由を考える。

彼と「家族」を続ける者たちの心の内も。

もちろん彼の「家族」だって、被害者だろう。

でも。それでも。彼らはその「セカンドライフ」をどんな気持ちで後押ししたんだろう。 

 

私には分からない。

被害者がいつまでも被害者として生きねばならないのに、加害者が「新しい役割」で人生を歩めるこの世の安楽さが。

この世はいつだって、加害者に優しい。

 

そして、強く強く案じている。

彼のもとで学ぶ子どもたちがまだ居るということ。

新たな被害者が居るのではないかという疑念。

何らかの「成果」と「生産性」があれば、性と生の尊厳を奪っても、不問に付されること。

 

きっと彼は、加害を加害とも思っていないだろう。

そんな相手に、どんなかたちで応答を求めれば私は気が済むのか。

 

被害者の「その後」はあまりに長すぎる。

私たち被害者は、生きるという罰を受け続ける。

あのときから、生きること自体が地獄になってしまった私たちの時間は戻ってこない。

本当に罰を受けるべきは私たちではないのに。

逃げ遅れた子ども

月に一度のカウンセリングの日。

今日も金言を得る。

 

「逃げ遅れた子どもに責任を負わせてはいけない。」

 

あのときの私は「逃げ遅れた」子どもで、私が負うべき責任などは無く、保護とケアを受けるべきだったのだ。

 

NOを言えなかったこと、言わなかったことに責任はない。

「言えなかった(言わなかった)」ことが、「合意」の証にはならない。

 

搾取をする者、権力の側にある者は、いつもそれをすり替える。

まるでその行為を私自身が「選んだ」かのように、物語を作り替える。

 

それも含めて加害なのだ。

あらゆる暴力の根深い問題は、加害者が自己を被害者と定義し、被害者が自己を加害者(あるいは共犯者)と定義するという捻転が起きること。

 

大人になった私は、その捻れを反転させて、正しい位置に戻すことができる。

「私は被害者である」と認めること、私以外の他者に私を定義させないこと、そこからようやく生き直しが始まるのだと思う。

 

 

別れられる家族だから

先日、無事クマと共に「パートナーシップ合意契約書」を作成してきた。@公証役場

私文書の認証だったので、証人二人を引き連れて、ハッピーでピースフルな時間を過ごした。なお、お天気は私たちにピッタリの土砂降り。

坂元裕二脚本のドラマ「カルテット」は、夫婦を「別れられる家族」と表現した。

別れられる家族。

私たちは、別れたくても別れられないものに首を絞められるときがある。

それは「絆」とか「愛」とか、フワフワしたものにくっついて傍に潜んでいる。

カルテットにおける夫婦のすれ違いは、「別れられないもの」を得ようとした側と、「逃げれば良い」を安全基地に生きてきた側の圧倒的な溝が生んだものだったように思う。

そして、その普遍的なすれ違いは、法律婚だからこそスルーされたのかもしれない。

別れられるから、慎重になる。

別れられるから、省察する。

別れられるから、言葉を尽くす。

いつだって別れられるのに、私はあなたを選んで共にいる。

「別れられない家族」にざまーみろ!と心の中で言いながら、私は私の「別れられる家族」を育てていきたい。

選び合ったという責任と幸福を、できるだけ長く、覚えているために。

 

 

万年筆で愛を描け!

パートナー(クマ)とペアの万年筆を買った。

ウォーターマンのメトロポリタン(私用)とエキスパート(クマ用)の二本。

何の万年筆かというと、「パートナーシップ合意契約」締結の記念品として、である。

 

31歳。

『ゼクシィ』とか買って読むにはちょっと遅いくらい(なの?どうなんだろう?)。

出会って17年。付き合って11年。

まあよくも続いてきたな、生きてきたな、と思う。

 

14歳のクマは、14歳で世界を見限った私を傍で見ていた。

世界が破滅しないのなら、私が破滅するしかない、と本気で思っていた(今もたまに思う。ヤバ!)。

街に火もつけず、人も殺めず、只ひたすらに自分に加害できたのは、女というジェンダーのせいかもしれない。おかげかもしれない。

 

20歳で何故かクマと付き合い始めた頃、ごくフツーのカップルが、若さにかまけて、ありったけの体力を愛という名の暴力でぶつけるように、それなりに、泣いたり喚いたりもした。

何度も「もう死ぬ!」と言った(命で脅すの、サイテー!)。

 

クマも大概だが、私もよくもまあ生きてるな!というくらいのヤバい子どもだったし、今でも相変わらずコースアウトした大人である。

あのとき「脅し」てまで欲しかったものは何か。それが愛だとするのなら、脅されて与えられるようなものじゃ無い、と今なら分かる。

 

某超有名バンドは「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて気がつけばそこにあるもの」と歌うけど、私にとって愛とは血だらけ。命削ってやっと得られるもの、と思っていた。

だって、じゃないと「生きてる実感」が無かったし。

 

そんなこんなで、今日。

法律婚、クソくらえ!(の、理由はまた今度)」精神が記念品に反映してしまい、『ゼクシィ』では常識とされているであろう指輪とか時計とか、そういうラグジュアリーなものではなく、文房具専門店で万年筆を買った。

 

まさかの名入れサービスまで。

クマは心と身体の性が不一致状態なので、「ほんとうの名前」の無い、名無しの権兵衛。

20歳のときに、頭のネジが少し緩んでいた私が付けた「Sくん」のイニシャルSと、私のイニシャルAを組み合わせて、キャップに印字してもらうことにした。

 

あらゆるものに不如意を抱える私たちが、どう生きていくのか。

「パートナーシップ合意契約」なんて面倒くさい書面を作る意義は何か。

家族って何だ。愛って何だ。

 

そんなことを(たまにポエミーになりつつ)綴ります。

あの頃の私みたいなどこかのあの子が、「この大人、ヤバ〜」って失笑してくれるように。

 

愛を描くグッズを手にした記念すべき一日に。